7/3日記(コナンすげー)

そういえばコナンの映画を見てた。コナンの映画は子供の時にテレビで何回か見た記憶があるが、映画館では見たことない。子供の頃見た映画だと、コナンはなぜかヘリの操縦ができたり銃の扱いに慣れていたりして、「ハワイで父さんが教えてくれたんだよな」とか言い訳をする謎のギャグがお約束だった気がする。おとんとの旅行で試したちょっと危ないアミューズメントが、その後の人生を左右する場面で役立つ蓋然性の高さ……、なんか、ようこそ米花町へという感じである。


いきなりなんでコナンを見ようと思ったかというと、コナンシリーズの興行収入を知ったからだ。コナンの映画は興行収入がやばいというのは知ってたのだが、1作目以降どんどん興行収入は上がっていき、前作の『名探偵コナンゼロの執行人』では91.8億円を稼ぎ出している。もちろん日本歴代興行収入ランキングにも名を連ねることになっていて、『ゼロの執行人』は『シン・ゴジラ』『ロード・オブ・ザ・リング』より上にランクインしている。安室透というキャラが近年人気らしいので、彼の貢献も大きいとは思うのだが、彼をメインに据えていない作品でもかなり客入りが良いようだ。ジブリでも新海誠でもないのに一体どういうことなんだよと思ったので見ることにしたのだ。


で、試しに評判の良い『漆黒の狙撃手』を見たのだが、エンターテイメントとしてシナリオの完成度が予想以上だった。

映画だと派手なアクションで見せ場を作らねばならないが、一方でコナンは本格的な謎解きもウリなので、そちらにも配慮する必要がある。人気キャラを登場させてファンを呼び込むことも重要だろう。

これらに加え、近作では「映画鑑賞者へのサービス」を設けるようにしてるらしい。なんか、『漆黒の狙撃手』は原作でもアニメでもまだ触れていなかった本編の核心をさらっと盛り込んでて、公開当時はかなり話題になったとか。

盛り込む要素がこれだけたくさんあれば、内容は散らかりそうなものだが、ちゃんとまとまっている。しかも、シリーズがワンパターンに陥っていないのがすごい。各作品が同じようなテイストかと言えばそんなことないのだ。全然コナンに興味なかったのに気づいたら何作か観てたし。みんなが見に行くはずである。


そういえば「コナンは平成を描いた」という指摘がある。さやわか『名探偵コナンと平成』だ。工藤新一は「平成のシャーロック・ホームズ」を目指していたが、結局なれないままに平成が過ぎていった。なかなか元の姿に戻れないコナンの停滞感は、そのまま平成の停滞感と繋がるという内容だ。そして、コナンの世界には殺人の小道具や背景として平成の風俗が多く登場している。

まあただ、コナンが平成を描ききれているかというとちょっと疑問だ。子供だった私の印象では、コナン世界で語られる平成の風俗は「おっさんが若い子に合わせてるな」というものだった。例えば作中でジンが灰原哀の髪色を「茶髪(ちゃぱつ)」と表現するが、彼女はイギリス系日本人なので元々髪が茶色い。茶髪はあくまで「染色した結果、茶色くなった髪の毛」を指す若者言葉であり、元々地毛が茶色い場合に使うのは違和感があった。あと、女子大生がポケベルで繋がっているベル友を探す回があったが、この回が収録された26巻は2000年の発売である。当時既にポケベルは衰退期で、世間には携帯電話が普及していたようだ。ちなみにベル友ブームは1996年頃だったらしい。

蘭が新一に対して「スケコマシ」という単語を使うので「なにこれ?」と思って調べたこともあったが、おっさんが使うならまだしも若い子や女性は使わない単語かな……という感じであった。ちなみにこの言葉、未だにコナン以外で聞いたことない。蘭は一体どこでこの言葉を知ったのか。


ただこの違和感というかズレは、あくまで「平成の風俗の書き方」に限った話であり、コナンの作品としての面白さや完成度を毀損するようなものではない。こんな風に無理をして(?)作者が若者の風俗を描く姿は、子供ぶっても子供になりきれてないコナンとどこかダブって見えもしておもしろい。