11/10日記(映画『ごっこ』)

 小路啓之が死んだ後、しばらくして千原ジュニア主演で『ごっこ』が映画化されていたという話を知った。清水富美加が出家するという騒動の最中のことだ。彼女が重要な役を演じているために撮影は完了しているにも関わらずお蔵入りになりそうだという話だった。千原ジュニアが報道陣に対するサービスのような形でそういうトークをしてたのである。
 え、千原ジュニアが?と思った。イメージと違うな、と感じたのだ。若い頃のキレた演技を知らない人のキャスティングか?とすら思った。
 俳優として活躍するお笑い芸人はもはや全く珍しくない。コント仕込みの親しみやすく面白い演技を見せてくれる芸人が殆どだと思うのだが、バラエティで見せる姿とはかけ離れたシリアスで不気味さのある演技を評価されて成功した芸人もいる。私がパッと思いつくのは、ビートたけし児嶋一哉板尾創路、そして千原ジュニアという面々である。

 千原ジュニアは基本的に映画では同じ役を演じることが多いと思う。ジャックナイフ役とでも言おうか?つまり、『ポルノスター』『Hysteric』『ナイン・ソウルズ』などで演じている、キレると何をしでかすか分からない、死の匂いのする関西弁の(若い)男である。おそらく彼は一個の役しか出来ないが、その一個が極めて完成しているというタイプなのではないか。リアルタイムではない後追いの知識だが、確か『Hysteric』とかの演技はかなり評価されてたはずだ。近年はそういう役を演じる姿を見なくなったが。
 少し勿体無く感じるが、演技が評価された背景には多少のビギナーズラックがあるという気もしていた。つまり、若さや当時の状況など、役を演じたタイミングゆえにハマったものがあるのでは?この路線で俳優を続けても長続きしなかったのではないか?となんとなく感じていたのだ。
 それに、きっと彼にとっては俳優としてのキャリアよりも芸人としてのキャリアの方が優先すべきものであり、魅力的なものだったのだと思う。あと、彼は大きな事故に巻き込まれて生死の境を彷徨ったことがあるらしく、その影響もあるのかも知れない。

 そんな千原ジュニアに対して、原作『ごっこ』の主人公・ボクは弱気で内向的な中年男性である。どこか弱気で自殺願望があり、ロリコンで幼女を誘拐するというキャラクターだ。だから、ああいう俳優が主人公をいかに演じるのかピンとこなかった。
 ただ、映画の予告編を見てなんとなくわかった。まず、世界設定の変更だ。小路啓之の作品舞台はどこか現実感のない都市であることが多く、彼のフィルターを通して見る世界という感じで、街並みも世間の常識も小路啓之的なおかしみを持つものに置換されている。しかし映画の方は、そのフィルターを取り払って完全に現実を描いている。不正受給は不正受給、自殺は自殺、誘拐は誘拐として我々が生きる世界の尺度そのままに描いている。
 そして、主人公は絶対に俳優としての千原ジュニアを念頭において当て書きされている。主人公の内向的な部分に千原ジュニアが有する暴力性とか不穏さが加えられ、原作とは違ったキャラクターになっているのが一目で分かった。殺伐とした現実の中に生きる不穏な男である。これは過去における彼のハマり役そのものだ。
 というか、予告編だけでも千原ジュニアの演技のヤバさははっきり分かる。ジャックナイフ健在である。ブランクで錆びついているということは全くないし、むしろ若さが失われた分を補って余りある。若い頃受けた評価はビギナーズラックではなく、本当に実力のある役者なんだな、参りました、という感じだ。

 千原ジュニアには時々でいいのでこれからも演じてほしいが、どうなのだろう。
 千原ジュニアのインタビューを何個か読んだが、彼は「一応頑張って自分なりには演じましたけども、役作りとか全くしてないですよ。芸人やし。全ては監督の采配です。僕なんかよりも共演した子役の演技が凄いのでそちらを見てください」という態度を崩さない。彼はおそらく「あくまで自分の本分は芸人」という意識が高い気がする。こういう人がコンスタントに俳優をやってくれるのかは分からない。
 ただまあ、ブランクにも関わらず若い頃からアップデートされた演技を見せてくれているので、ここからさらにブランクが空いても何となく大丈夫な気がする。つーか人生ではじめて千原ジュニアについてこんな真面目に考えた。