10/4日記(『ダルちゃん』感想)

 今日ははるな檸檬『ダルちゃん』の最終回だった。特に思い入れもなく時々読んでただけなのでこれといった感想を持ってなかったのだが、みんながボコボコに叩いててびっくりした。それだけ作品のテーマについて期待していた人が多かったということなのかもしれない。
 「擬態」、つまり、社会から拒否されないように自分の個性を殺して「普通」でいること、というのが大きなテーマなのだが、描き切れていたかは怪しい。というか、このテーマはあの形式の連載で描くには繊細すぎると思ったし、いろいろな答えがあって正解などないに等しいので万人が納得する結末にするのは難しい。例えば「世の中に阿って擬態するのは媚びだ」という人もいるし「飾りもしないで自分を受け入れてもらおうという考えは図々しい」という人もいるだろう。

 まあ改めて批評を念頭に読んだら「これは10話までは構想が決まっていたが、作者はそのあとどう続けるか考えてなかったのではないか?」という感じがした。10話にて主人公はモラハラっぽい営業の男とラブホに行き、セックスする流れになるが、主人公は結局それを拒否する。
 そこまでメインに描かれていたのは「負の個性を殺して『普通』への擬態を強制する社会と、その擬態を当然として捉えている女性」だったのだが、この10話をターニングポイントとして流れが変わる。この失敗をきっかけに主人公はサトウさんという、自分の擬態に否定的だった女性と親しくなる。痛い目を見た主人公はサトウさんの影響で詩に興味をもち、創作をはじめる。この流れはいいのだが、なぜかこれ以降のテーマは「創作と私生活の相克」になる。「擬態」については、主人公がサトウさんの前で自分を隠さなくなったというだけで、トラブルを招いた自分の擬態について何か考えている様子はないのである。
 最終回で擬態した姿も自分だというセリフはあるものの、結局擬態についてどのように折り合いをつけていったのかという主人公の心の動きが書かれていないのはかなり疑問だ。一応最終回前に仲間がいることは示唆されるが、それだけで物心ついた頃から続けた擬態について吹っ切れたというわけもないだろう。

 また、これと後半のテーマである「創作と私生活の相克」がどう絡んでいるのかもよく分からない。物語は、主人公の作品の私小説的な面が恋人を傷つけてしまい、主人公がどちらを選ぶか迷うというストーリーになる。ここでの主人公の創作は、はじめて彼女が表現できた「擬態」ではない本当の姿であるはずで、非常に大切なものだ。ただ、主人公にとって創作がそういうものだとは短い紙面に描き切れていなかったように感じたが。
 その切り口で、世間の価値観に沿った普通の恋という「擬態」を取るか、創作の世界に進んで「擬態」を捨てるか、という部分を描けたはずなのに、理由の説明がないまま恋よりも詩を選んだという流れだけが描かれたのは残念だ。
 それから創作を選んだのであれば、その業についても描いて欲しかった。そもそも私小説は破滅的なものであり、私生活での出来事を小説に書いているつもりが、いつの間にか小説を書くために私生活でトラブルを起こすという逆転現象が起こりうるようなものだ。そのあたりを見たかった。

 そんなわけで、なんとなく見てたのを真面目に見直したら結構厳しい感想になってしまった。はるな檸檬作品では登場人物の行動原理が基本的に性善説っぽいので、このテーマは結構きつかったのではないか。