8/13日記(『ハイキュー!!』ネタバレ感想)

 え、『ハイキュー!!』? 本当に? バレーの授業サボって空き教室でかっぱえびせん食ってたお前が???? 高校のバレー大会後、腕が紫色に腫れ上がって保健室行ったお前が??????? という感じではあるが、古舘春一『ハイキュー‼︎』の感想を書くことにした。きっかけは4月のDMMブックスのセールである。私ももちろんその恩恵に与ったわけなのだが、買ったのは藤本タツキチェンソーマン』全巻、ミン・ジン・リー『パチンコ(上)(下)』(名作、最高、みんな読め)である。『ハイキュー‼︎』は買ってない。というか『ハイキュー‼︎』は、バレーボールに打ち込む高校生たちのキラキラした青春を描く王道スポーツ漫画であり、どう考えても私が好んで手に取るタイプの漫画ではない。そもそも私がちゃんと読んだことのあるスポーツ漫画は少なく、松本大洋『ピンポン』と野田サトル『スピナマラダ!』程度である。

 

 ではなぜ『ハイキュー‼︎』を読んだのか?
 それはDMMブックスのセールで『ハイキュー!!』を全巻買ったフォロイーのツイートがきっかけだ。オリンピック反対派だったはずの彼女が「まずい ハイキュ読んだせいで、今年は無理でもいつか有明でバレーやって欲しくなってしまう…」とか言い出したのである。お前、五輪に関しては昨日まで「中止だ中止!」とか言ってる『AKIRA』側の人間だったじゃん!!!!???? 人間の考えが1日でこんな真逆に変わることある!???? と衝撃を受けたわけだ。

 さらに他のフォロイーからも「隣のチームのリーダーがメンバーにハイキューをおすすめした結果、そのメンバーのモチベーションが急激に上がって圧倒的成果を出し始めました。ハイキューはすごい。」とリプライがあり、そんなヤベー漫画なの? と思ったのです。

 

 そういう経緯で『ハイキュー‼︎』を読み始めたわけだが、この漫画、少し読むだけで尋常じゃなさがすぐ分かる。なんというか、読者を惹きつける引力をもってる。

 まず言及しておきたいのは、本作の初めのフックとなる速攻である。運動神経が抜群に良いのに体格に恵まれなかった日向翔陽と、才能にあふれるが独善的なセッター・影山飛雄がこの話の主人公だ。日向は相棒を信じ、目を閉じてめいっぱいに飛ぶ。飛んだ先には影山がトスを上げている。影山の精度と自分のスピードで、何ものにも邪魔されず、日向はボールを敵陣に叩きつける。超人的な速さでの速攻が実現してしまうわけだ。そこから2人の運命が動き始めてしまう。
 ここを読んだ瞬間、私の中で『見る前に跳べ』は大江健三郎から『ハイキュー‼︎』に変わった(???)。大江健三郎の主人公は結局跳ばないけど『ハイキュー‼︎』は徹頭徹尾跳んでるし。まさにleap of faithそのものであり、読者としては「これは……」と期待せざるを得ない。そのあとの展開で日向が飛ぶ時に目開けるかどうかでモメるのも、盲信をやめて自分で立つメタファーを感じて「うっわ、最高、良すぎかよ……」と思った。
 そういうわけで、結構素直に感動して後半の展開とかずっと泣きながら読んでたので、「文化系のお前は引きこもって大人しく和山やまとか宮崎夏次系でも読んでな!」などと思わずに話を聞いて欲しい。


1.語りと表現
 冒頭の何話かを呼んで、すぐに気づいた。この漫画の何よりも強い武器は、「語り」と「表現」だ。

 本作を読むときに、まず目を惹くのは表現の巧みさだ。本作ではアングルがとにかくめちゃくちゃ動くし、解説が少なくなる場面もある(こうしたスポーツものでは狂言回しのようなキャラクターが試合の解説をすることが多い。『ハイキュー‼︎』でももちろんそうしたキャラが複数名登場するのだが、ここぞという場面では説明的な台詞は極力抑えられている印象だ。多分画面上のスピード感を優先してるんだと思う)。でもすごく分かりやすい。
 私は漫画の表現を読み取るのが非常に下手な上にバレーボールのルール自体もよく知らないのだが、そんな人間でも試合で何が起きていて、誰が得点して、試合の優勢がどっちなのかということがすぐに理解できるのである。これにはかなり驚いた。全部の漫画この人が描けよと思ったくらいだ。

 ハイキューの画面が理解しやすく、スピード感を持って読める理由はたくさんあるけど、その理由の一つが描き文字だと思う。
 例を挙げる。おそらく、本作で最も多く言及されている有名なコマはこれだろう。

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古舘春一『ハイキュー‼︎』15巻, 集英社, 2015, 第134話 「お互い様」P178-179

 どうだろうか。このコマはセッター2人が瞬時にスイッチしてチームが臨戦態勢に入った瞬間を描いてるのだが、描き文字に矢印を加えることで2人がそれぞれどちらへ動いたのか明確に表している。文字の字形は視認性が高くシャープな輪郭であり、表音文字が持つ鋭さや勢いを殺していない。また、本作の大部分ではごく一般的なオノマトペが使われていることも読者の直感的な理解を助ける。残念なことに私は漫画表現を読み取るのがとても苦手なので、めちゃめちゃ読みやすい『ハイキュー‼︎』においても見落としてる部分がたくさんあると思われる。そういうわけで、こうした漫画表現に関して私自身が改めて何か書くのは割愛し、優れた他の批評を紹介するに留めたい。

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 さて、ここまで表現について書いてきたのだが、語りについても書く。

 理由は知らないのだが、スポーツ漫画の主人公は多少駄洒落めいた形で名前に何かのイメージを纏っていることが多い。桜木花道、星野裕、日向翔陽、あとは黒子テツヤ大空翼上杉達也など。これについてはスポーツ漫画に知見のあるフォロイーから、「おそらく子供たちに覚えて貰いやすくするためでは?」と教えてもらったが。

 こうした識別子っぽい名前から、私はスポーツ選手の背負うビブス(ゼッケン)を連想する。例えばセッター、ミッドブロッカー、リベロみたいな、盤面での役割を付与されてる感じもある。記号的、というか。率直に言うけれど、私はこの辺をかなりグロテスクに感じる。登場人物は動かされる盤面のコマにすぎないと気付かされてしまうからだ。仕方ないことではあるが、どういう展開を書きたいからこのキャラクターを出す、というのが見えすぎてしまうと入り込めないのである。

 だけど本作の作者は、キャラクターの一人一人をコマみたいに雑に処理していない。とりわけ負けや失敗をとても丁寧に扱っている。「『ハイキュー‼︎』は勝者側のみでなく、敗者の気持ちも掬い取って丁寧に描写している」という指摘は非常に多い。

 例えば第40話『勝者と敗者』においては、烏野と戦って負けるチーム側の心情がクローズアップされている。これには作者・古舘春一がバレーボール経験者であることが大きく影響しているのだろう。作者はその経験をもって、敗北を非常に鮮やかに描く。

 

 この特徴を以て、本作は登場人物全員に焦点を当てているという指摘は多い。この物語はバレーボールプレイヤーの証言集としての性格を持つ。日向が成長し、バレーボールプレイヤーとして大成するまでを描いた物語ではあるのだが、本作はバレーボールそのものに強くフォーカスしている漫画であると言える。

 で、その語りだけでなくてそこに漫画表現が加えられたときがすごい。

 例えばインターハイ出場をかけた青葉城西高校(影山の因縁の相手・及川徹がいる、ちなみに彼は最初のボスという感じで登場する)との試合だ。ここで日向が負けた後の表現がかなり良い。
 接戦の末、烏野高校は僅差で敗れる。チームは悔しさを滲ませつつも、整列、握手、挨拶と試合後のルーティンを淡々とこなす。チームのコーチは、部員たちの心に響かないと知りながら励ましの声をかける。チームメイトに向け、日向は何かを言おうとするが、その声をかき消すように吹き出しの上から「ガララララ」という大きな描き文字が入る。まるで余韻を切り裂くように。次の試合のために新しいボールを乗せたカゴが運ばれてきたのだ。そして即座に次のチームが声を出しながら入ってくる。

 この数コマの表現とナラティブだけで、「次の試合が始まる」「あんなに白熱した戦いは終わり、その余韻は会場から消え去っている」「もうこの場にいられない」という状況を示し、敗北した現実や辛さ、そしてそれをすぐに飲み込めないことすらも全部表現してくるわけである。このように、経験者ならではの「語り」──敗北のリアルな手触りと、漫画表現が見事に噛み合っているわけだ。まるで主人公2人の繰り出す速攻みたいに。
 あ、これはすごい、これは胸を打つわ、と素直に思った。日向のセリフがかき消されるコマはめちゃくちゃ良すぎて壁に飾りたいくらいなので適切なやり方で引用したいのだが、ジャンプのアプリでスクリーンショット撮ったらBANされるのでやりません。
 引用します。『ハイキュー‼︎』全402話の中でこのコマが一番好き。

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古舘春一『ハイキュー‼︎』8巻, 集英社, 2013, 第69話 「敗者」P135


2.呪い
 一方で主人公コンビは、ある種の生贄としても描かれている。影山は登場時点で完全にバレー以外の要素が切り捨てられていて、日向の方もコートに立つということに執着する狂気性が繰り返し描かれている。このクリシェは単に勝利への貪欲さの表れでバレーボールという競技に対する素質の提示だと思ってたのだが、これがあまりにも繰り返されるので次第に「あれ、こいつマジで狂ってね?」という感じになってくる。
 だから日向は狂人だと思って読んでたのだが、鴎台戦の前あたりから彼が躁状態に陥って、そのキマり具合や多幸感が妙にリアルで、「は?少年誌でこんなことになんの?一体何を見せられているんだ?」と不安になった。因みにこれは日向が発熱して退場するという伏線だった。

 日向の運命は、この春高での敗北後に決定づけられてしまう。
 動き続けた日向は高熱で倒れ、退場を余儀なくされる。退場を渋る日向に、顧問の武田は「今この瞬間もバレーボール」だと言う。これは呪いの言葉でもある。だから日向は本当に全部をバレーボールにしてしまう。これは、いわば狂人が道理を得た回だ。
 終盤のブラジル修行編で身も心もバレーボールのために捧げているシークエンスは、日向が生贄になっていくようで結構怖かった。修行編と並行して一巻を再読すると「取り返しのつかなさ」がエグすぎて読めなくなる(でも私はこの手の狂気を持つ人間が大変好きでもあるので正直に言って「ようこそ…………!」とも思いました)。

 ブラジル修行のあと、日向は日本に帰ってくるわけなのだけど、ここからは完全にボーナスステージだ。いわゆる「強くてニューゲーム」である。
 ここでプロになった日向と影山の再戦をひたすらにかっこよく描き、その上でオリンピックがやってくる。物語は、日本代表となった2人と青葉城西にいた及川(帰化し、アルゼンチン代表になっている)との戦いで幕を閉じる。一周回って初めのボスとまた戦ってるわけだ。この漫画は「負けたら終わり」とか言って人生の一回性を繰り返し強調してんのに、何故かセーブできたりコンティニューできたりするゲームのモチーフがやたら出てくるので「なんでかな?」と思ってたのだが、こういうことだったんですね!と思った。

 ハイキューのあまり好きじゃない点は作画上の語りが時々過剰すぎるところだが、最後ではそれも抑えられ、すべては読者側に委ねられている。最終巻のオリンピック初戦で、最後に飛んだ日向の眼にネットが映るのを抜いたショットを見てほしい。描かれてるのはこれだけだ。他に何も語られないけど、ここまで読んできた私たちには分かる。日向が頂の景色を見てるのが。これはかなり粋で、好きな演出だ。


3.余談

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古舘春一「ハイキュー‼︎」第294話 ゴミ捨て場の決戦『週刊少年ジャンプ 201815, 集英社, 2018


 『ハイキュー‼︎』は引用もうまい。『風神雷神図屏風』の構図を引用した294話の扉絵が大変好き。雷神側の田中冴子が持つ和太鼓に対して、風神側・山本あかねには風袋のかわりにスピーカーを持たせてるのが良い。選手じゃなくて応援席の女子がメインなのも気が利いてるなって思う。山本あかねがセーラー服姿なので、会田誠『美しい旗(戦争画RETURNS)』の方もちょっと連想した。ちなみに、こっちに似た構図の扉絵もある。
 あと、角川学園戦で日向が2mの選手にブロックアウトかますシーンには、ゴリアテの頭をスリングで撃ち抜いたダビデっぽいニュアンスがある。ジャイアント・キリングってやつだ。

 登場人物について。谷地仁花については思うことがかなりある。はじめこの子は都合の良いmanic pixie dream girlにしか見えず、バレーに関わるというよりはヒロインとして日向の"主人公性"を担保するために生まれた存在に見えたので、「うーん……」と思ってた。けど、なんか特にそういう方向にも行かず、他のキャラクターと同じくバレーボールに普通に関わってちゃんと成長して自分の選んだ道を行ったのが意外だった。
 この漫画に出てきたたくさんの伏線はほぼ回収されているのだけど、登場時に仄めかされた彼女と日向の関係性についてはなぜか特に何もなかった。でも良く読んでみたら、この人ってもしかするとプロト版の日向から再構成されたキャラクターなのかも知れない。元々同一人物だったのであれば、この2人はシークエルがあるならやっぱりくっつく方が収まりがいいのかもしれないな?とか今なら思う。けどまぁ日向は生贄として描かれてるから無いかなという気もしますね。

 他にも、強豪校になったはずの烏野高校の様子がさほど変わってなかったり黒髪になった烏飼繫心が相変わらず二足の草鞋だったりするのはこの場所が「無い無い島」的な、誰にも触れない神聖な世界になってしまったからなのかなとか(この話、きょうだいや祖父母はよく出てくるのに親があんまり出てこない。谷地仁花が入部にあたって母親に「大きな道路の向こう側から」マネージャーになることを宣言するシーンは「この場所と親たちがいる世界は分断されている」という印象で結構示唆的。彼女には他にも、合宿の時にまるで生き別れた母親へ手紙を書いているようなモノローグもある。高校卒業後に彼女が母親の会社でバイトしてる姿は、「冒険を終えて大人になり、親元に戻ったウエンディ」という感じもする。あと、日向の造形はまあまあピーターパンっぽい)、菅原孝支(経歴が完全に烏飼+武田をなぞっている)ってコーチ側にならないんだ!?いや、教職に就いたのは今後そうなるための伏線なのか?とか、登場人物の名前に仁義忠孝全部あるやんけ……儒教的!!!とか、高3時のIHの結果だけが書かれてないのは……もしかして?もし主人公変えずに新展開あるとしたらこの時期か?など、感想未満の瑣末なことをいろいろ考えたけれど、とりあえずこの辺で終わりにします。

 

「バレーボールは面白い(と証明しよう)」という言葉は、本作のキーセンテンスとして形を変えて何度か登場する。これはオーラスの締めにバンッと出てくる言葉でもある(一応文脈をおさえておくと、この台詞の初出は全日本の監督・雲雀田吹であり、その直前には「『日本、高さとパワーの前に破れる。』なんて決まり文句はもう古い」という台詞がある。つまりこれは、今後日本バレーに求めていく、プレーの多様性についての宣言だ)。

 でも主人公コンビをはじめ、バレーボールをただひたすらに追いかける選手たちにとっては「バレーボールは面白い」とは当然のことでしかない。それを改めて考えるまでもないし、誰かに証明する必要もない。しかしあえてこの漫画はこの言葉を繰り返す。それは、これが作者の強い想いだからだと思う。