11/5日記(『ダブル』第二十幕ネタバレ感想)

 そもそも「世界一の役者」とは何か?という話である。

 

 アカデミー賞受賞者?トニー賞受賞者?世界三大映画祭での受賞者?最多ノミニー、歴代最高興行成績、史上最高額のギャラや出演作品最多など、なんらかのタイトルホルダー?知名度No1俳優?好感度No1俳優?アクターズアクター?業界内で一番評判がいい俳優?

 輝かしいトロフィーはたくさん思いつくが、こんなことで「世界一」を決めるなど、どこか虚しく感じないだろうか。測るものさしがたくさんある多様性の時代において、「世界一」とは非常にあやふやな価値観だ。「世界一の役者」というものは個人の意見としてしか存在しないのではないか。「世界一の役者は誰か」と問われても、返答は人それぞれ違うだろう。

 今回物語の前半には「世界一の役者とは 誰もがその名を知ることなのか」と葛藤する冷田がいる。これまで読者は「世界一の役者」が物語の最終到達点であると思って(思わされて)いたのだが、ゴールの条件が不明確であることが分かり、作中で確固としたものに思われた「世界一の役者」なるものの像が揺らぎはじめているのだ。

 しかし、このあやふやな「世界一の役者」という言葉はすでに一話から登場する。「多家良は 世界一の役者に なるだろう」という友仁の独白が初出だ。そしてこの言葉は、主に友仁の口から飛び出すものである。「世界一の役者」というものへの友仁の執着と狂気を感じられる。この言葉は彼を縛る呪いなのかもしれない。


 あやふやといえば、多家良の決意の内容もそうである。

 前話で、多家良は強い決意をした。「もっと遠くへ行こう」という、その決意を実行するための具体的な内容は不明確だったが、新しい始まりと多家良の変化を予感させた。今回はその後の多家良が描かれる。

 前話での劇的な彼の決意を見ていると派手な変化を期待してしまうが、今回の多家良はえらく静かだ。例えば多家良が自らを犠牲にして狂気的に演技に打ち込んでいるとか、成功を捨て去って元の劇団に戻るといった極端で分かりやすい展開はなかった。愛姫が「今の多家良さんが一番いいよ」と言うとおりに、今の多家良は理想的な状態で仕事ができている。「自分のペースで仕事に取り組む」という状況。働き方改革である。大変ヘルシーだ。前回までの多家良は自らの中に友仁を創り出してそれに囚われていたはずなのに、今回は友仁の偽もの・友仁Bは現れない。それどころか多家良は本物の友仁とも会わなくなっている。「遠くへ行こう」とは、「世界一の役者になろう」ということではなく、単に友仁と距離を取って独り立ちするということだったのだろうか?

 友仁を切り捨てた多家良が自分のペースで理想的なかたちの仕事ができているのなら、あっ、やっぱり友仁なんて所詮はただの友人、要らなかったんですね、という感じになっているのである。


 そんなところに九十九の代役として友仁がやってくるわけだ。これはおそらく友仁と会ってない多家良を気にかけた九十九の粋な計らいなのだろう。めちゃいい奴だ。友仁と相棒役を演じる多家良は「演者と役 2つの人生が板の上で重なって芝居が生まれる」の言葉の通り、九十九とより友仁との関係性があった上での演技の方が生き生きとして見える。(ちなみに「代役」に「アンダー」というルビが振られていたのが気になった。タイトルの「ダブル」とは「代役」を意味する語ではないという示唆だろうか?)

 

 で、今回のラストは、九十九が降板となり代わりに友仁が抜擢されたのではないか?と感じさせる引きだ(多分九十九は友仁の家に行く道中で多家良に電話をかけたのだろう)。

 ただ、そういう展開になったとしても友仁は役者としての存在感のみで認められたわけではない気もする。「演者と役 2つの人生が板の上で重なって芝居が生まれる」「あなた(演者)がどう生きてきたかでお話がまるで変わってくる」という華江の言葉を素直に受け取るならば、友仁の人生ーー多家良の「友人」としてのーーが採用されたという含みを感じる(またしても友人役を演じさせられるのだ)。ただ、バッターボックスに立って振らないとホームランは打てないわけだ。どんなきっかけにせよこれは大きなチャンスだ。

 今回の「相手を思え 相手になるな」「相手そのものになっちゃうと逆に見えない」というセリフからは多家良が自分の中に友仁Bを創り出したことや、本物の友仁とすれ違っていることを連想するし、多家良と友仁の関係性は『飛竜伝』を通じて大きく変わるのだろう。大きな転換点が来るように思える。


 なお、前回の大きな転換点は架空の巨匠監督のもとで、架空の映画に出演することだった。今回はつかこうへいというついこの間まで存命していた実在の脚本家に、虚構の演出家(私は舞台演劇に関する知識がほぼないのだが、モデルがいるのだろうか?)を絡めるという非常に大胆な嘘をつくわけだ。

 これには深い理解と劇や演出への咀嚼が必要で、非常に高度な作劇だ。このことからも作者はかなり力を入れてこのアークを描くのだろうなと予想できる。今後の展開が非常に楽しみだ。