9/14日記(レベッカ・マカーイー『赤を背景とした恋人たち』)

 レベッカマカーイー『赤を背景とした恋人たち』を読んだ。『赤を背景とした恋人たち』というのは、シャガールの絵のタイトルでもある。

 この小説の舞台は16年前のニューヨークだが、登場人物の一人はバッハだ。マンション販売を生業とする現代女性が、ピアノの中から唐突に現れたバッハと、マンションの27階で同居するという状況を書いた作品である。主人公は38歳の女性で、夫とは別居中である。彼女は突然現れたバッハとセックスはするが、恋には落ちないし、そのセックス自体も快楽が付随するものではない(歴史上の偉人に対して非常に失礼な設定だが、バッハとのセックスはあまりよくはないらしい)。バッハに対して、感傷を伴う執着も持っていないようだ。ではなぜ肉体関係を結んだのかというと、彼女が妊娠を希望しているからだ。史実ではバッハは子だくさんであり、その子供達は皆音楽の才能を発揮していたらしい。38歳で、流産を経験し、さらに夫とも別居している主人公はこのチャンスに賭けているのだ。


 この一連の出来事とときを同じくして、イラク戦争が進行している。作品の舞台は2002年、9.11が起きた翌年で、子ブッシュによる悪の枢軸発言の後である。まさに開戦前という状況だ。

 テロが起き、いつまた同じことが起こるかもしれないという不安がニューヨークを包んでいると考えると、主人公の行動を「それどころじゃないのに」と感じる人もいると思う。テロで命を落とすかも分からない状況なのに、訳の分からない男をバッハだと断定して家に住まわせている上、なんとか妊娠すべく試行錯誤しているのだから。芸術学の教授が赤を「暴力やドラマ、興奮や情熱」だというのに対して、彼女は「女性にとって赤とは、今月は赤ちゃんができないということ」だと言う。(ただし彼女の喪失感がその認知に大きく影響しているのは明らかだ。望むにせよ望まないにせよ、妊娠というものを大きく意識していないならば、女性にとっても赤は赤でしかない。そして、月経はただの面倒な一週間でしかない。)

 主人公の夫にとっても、関心は国家の動乱であり、妻の妊娠にまつわる問題はそれに比べると卑小なことでしかない。9.11のあと、彼は精神的に失調してしまっている。これまで信じていた安全な暮らしが破壊され、いつ死ぬか分からないという現実をはっきりと認識してしまったからだ。そして、それを揶揄する主人公に「ビルが攻撃されたときよりも去年流産したときのほうが君は落ち込んでいた」とすら言う。そしてバッハにとっても、彼女のことは大きな関心ごとではなさそうだ。18世紀から来た彼が現在直面している問題は、よく分からない時代に飛ばされ、知らないマンションの27階というとんでもない高所に自分が存在しているという恐怖だ。

こうして主人公の問題は誰からも置き去りにされてしまう。しかし、世界史の大きな転換点よりも子作りに必死になってるのは、きっと彼女が愚かだからではない。こんな事態に直面するまで世界の危うさを知らなかった夫と違い、彼女は世界が不確定で危ういものだとはじめから知っていただけではないか? そして、彼女にとっては危うい世界で自分の日常を過ごすのは当たり前のことだったというだけだ。


 高層ビルに飛行機が突っ込んだ後に高層マンションを顧客に売り込んだり、多くの人がテロに怯えているのに偉人の子をなんとか孕もうとしたりするのは確かに滑稽だが、いつの時代だって本当は不安定だ。ここ数年の間にも核ミサイルの発射や地震や水害が起きたわけなのだが、我々はそれを深刻に捉えるどころか毎日バカなことをして生きてる。

でもそういうのが人間なんだな、という感じだ。