10/20日記

 この国に生まれた子どもの多くは幼い頃にジブリ作品を履修すると思う。だから、『魔女の宅急便』のテーマである『ルージュの伝言』や『やさしさに包まれたなら』でユーミンを知るケースが多いはずだ。他にも、ジブリだと『風立ちぬ』で『ひこうき雲』が非常に印象的に、作品のテーマに沿った使われ方をしていたし。あとは、『卒業写真』や『瞳を閉じて』が定番の卒業ソングなので、学校行事なんかで耳にすることもかなり多いのではないか。
 一方でユーミンが全国のスキー場で掛かっていたというバブル期のことは知らないため、全くイメージがない。バブルが弾けた後に『春よ、来い』が流行ったのは知っている。
 こういう感じで、ミレニアル世代以降にとってのユーミンは意外と荒井由実時代の印象が強いのではないだろうか?私もそういう感じで、荒井由実時代のほうが印象的である。『雨のステイション』、『中央フリーウェイ』、『ひこうき雲』、『翳りゆく部屋』とか。

 今回ユーミンがサブスク解禁ということで、ちょっと聞いてみたが私はやはり荒井由実時代のほうが好みみたいだ。というか「これは……!」と思った曲の参加ミュージシャンとか編曲が大体ティンパンアレーだったので、単に私が細野晴臣(ティンパンアレー)が好きだというだけかもしれない。
 あと、歌詞についても発見があった。ユーミンの歌詞は短編小説のように登場人物や設定などのシチュエーションがかっちり決まってる傾向があり、そしてそのシチュエーションは発表された時代の気分とうまくフィットしている。さすが時代と寝た女という感じだ。ただ、そのせいでバブル期前後の歌詞には軽薄さや恋愛至上主義っぽい価値観を感じてしまい、共感できない。『サーフ天国、スキー天国』『ロッジで待つクリスマス』辺りである。寓話的なイメージに覆い隠されているが、名曲『恋人がサンタクロース』の価値観もよく考えたら物凄くバブルである。編曲もなんか80sすぎるし、やはりバブル期のユーミンは苦手かもしれない。

 嬉しい発見もあった。歌詞を見て気づいたが、荒井由実時代の『翳りゆく部屋』(1975)の歌詞はもしかすると細野晴臣『終りの季節』(1973)へのアンサーなのではないか?
 『終りの季節』は、恋人との最後の朝、相手が出て行った部屋で朝焼けをひとり見つめ、その明るさに多少の慰めを得るという内容で、『翳りゆく部屋』はその反対である。恋人との最後の夜、夕焼けを二人で見つめ、相手の出て行った暗い部屋で嘆くという内容だ。アンサーでないにしても何らかの影響を受けているように思える。綺麗に対照的なのでおそらくそうだろう。面白いな。