8/18日記

 映画『ゲット・アウト』を観た。低予算映画なのに大当たりして、しかもアカデミー賞に何部門もノミネートされ、脚本賞を受賞した映画だ。ざっくり言うと、黒人青年が白人の彼女の実家に挨拶しに行ってひどい目に遭う話である。リアルな差別が描かれてると同時に結構パラノイアな感じもあって、興味深い作品だった。黒人にまつわる差別がテーマとあって、オバマ元大統領も絶賛したらしい。物語の中には白人による「オバマに三期目があるなら投票した」というセリフが二回も出てくるのだが、彼はどう捉えたのか少し気になる。

 
 まず、この映画で描かれてる差別は従来のものとは違う感じがしたし、なんかリアルだった。登場する白人たちは黒人に敬意を表するが、心の中では黒人を強めのポケモンみたいにとらえてる感じだ。「黒人はやっぱり身体つきがすごいね」と言って触ったり、タイガー・ウッズを引き合いに出してゴルフのフォームをさせてみたり。この感じ、ちょっと分かるしリアルだ。男性が女性をおだててるつもりで「ここはチーム内の女子力に頼りたいですね」とか言いだして場の空気がおかしくなる感じを思い出す。働く女性を、女子力とかいう謎のパラメータを持つポケモンみたいに扱ってるわけだ。
 まあピンとこない人もいると思う。悪気がなくてもアジア系だからといって「ジャッキー・チェンみたいにカンフーを見せてくれよ」とか言われたら誰だってムカつくと思うが、そういう感じだ。向こうは親愛とかリスペクトの気持ちを示してるつもりだが、結局は自覚のない差別である。

 ただ、そうした隠れた黒人差別に敏感な白人が一人だけいる。主人公の彼女である。あとで分かる別の意図があったにせよ、警察による取り調べのシーンでは黒人差別に憤慨して主人公をかばう振る舞いを見せる。家族と主人公を引き合わせたときも、白人一家は無自覚的な差別を主人公に向けてくるのだが、その後彼女は主人公の代弁をしてくれる。父は白人なのに黒人を真似た口調をして、母は黒人メイドにどことなく冷たく、弟は黒人は強いからと主人公にヘッドロックをかける。表面はリベラルぶっているくせに結局は差別的だ。家族に幻滅した、と。
 ただ、物語の後半で一番恐ろしいのは彼女だったと分かる。彼女はハニートラップで黒人を実家に呼び寄せ、家族ぐるみで競売にかけていたのだった。ちなみにこの競売、「黒人は白人より下だから奴隷にしたい」という動機ではなく、黒人に憧れる白人たちが「脳を移植して憧れの黒人になりたい」という動機で行われており、「ケンドリックみたいでクールだから黒人の親友がほしい」というBlackBestFriend欲求みたいな、尊敬しているようで実は他人の属性をモノ扱いしている差別感情によるものだ。

 そんな白人たちの中で、この彼女だけは黒人差別についてのタブーを知り抜いている。そうした差別行為への批判もできるし、男女関係なく黒人と恋愛関係になるのも厭わず、それでいて黒人を競売の対象としてハントするというのはどういう心持ちなのかと思ったが、自分にも黒人への無自覚的差別心があるのに、他者のあらゆる無自覚的な差別心に敏感でそれらに対して的確な否定ができるのはなんか違和感がある。もしかすると彼女だけは黒人をはっきりと自覚的に差別しているのかと思ったが、だとすると自分の祖父母やコミュニティの住民が黒人に成り代わることに耐えられるだろうか?やはり彼女も他の白人同様に「黒人への憧れ」を抱いていて、自分の差別心には無自覚だと考えるほうが自然である。

 となると、なぜ彼女は自分に無自覚的差別心があり、他者に指摘したようにそれが誤っていると気づけないのだろうか?彼女を突き動かしてるのが「黒人の肉体や外見への憧れ」で、黒人の人格に対してはどうでもいいというか自覚的な差別心があるのかな、とも思ったのだが、なんか、彼女は反レイシズムを掲げる白人全体に対する不信感というか、差別されてきた黒人のパラノイアが生み出したキャラクターではないかな、と思った。
 「自分の味方に見えるマジョリティをどこまで信じていいのか?結局はどんな人も排他的なのでは?」という気持ちは分かる。私も、尊敬している男性がいきなり女性に対して排他的なことを言い出して悲しくなった経験があり、やっぱり男なんて全員女をバカにしているんだな、とか思ったのだが、まあでもその考え方も逆に男性差別的であるとあとで気づいた。ただ、信用している人に裏切られるともう何も信じられない気分になってしまうので、余計に断絶を招いてしまう。そういう悲しさが作った絶望が主人公の彼女の造形の根幹にあるように思える。
 あとこの映画、実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』のオチを思い出し、改めて不快な気持ちにもなった。見た人なら分かると思うが、アレはやはり結構ひどいのではないか?