7/9日記

 休みだったので美術館を巡った。21_21design sightでAudio Architecture展、森美術館で建築の日本展。

 AA展の方はコーネリアスの楽曲にみんなで映像をつけようぜという趣旨で、会場全体に響くコーネリアスの曲に合わせてスタジオライブ映像と8つの映像作品が流れるという展示である。
 親友がコーネリアスをかなり好きな影響もあり、私も彼の音楽は非常に好きだ。特に音響派っぽくなってからが良い。
 そのためにコーネリアスについては多少知識がある状態で展示を見たのだが、提供されている曲はコーネリアス(point以降)らしい、四つ打ちでリバーブの効いたドラムと低音の目立つベース、突如差し挟まれるブレイク、例のウインドチャイムやギターのトレモロ、謎のサンプリング音源という感じのアレだった。コーネリアスの音楽は打ち込みだと思われがちだが、あれは生音をサンプリングして作ってて、ライブではがっつり演奏してる。
 それを示すためにはじめの部屋でわざわざスタジオライブ映像を流し「この音楽は打ち込みのみによるものではなく、肉体を介した音楽である」と宣言してるのだが、次の大きな部屋で一つずつ上映されている映像作品は無機的な印象を受けるものが多くて残念だった。
 そういう理由で大西景太「Cocktail Party in the AUDIO ARCHITECTURE」、折笠 良「エンドゲーム・スタディ」、勅使河原一雅「オンガクミミズ」、梅田宏明「線維状にある」は好みではなかった。曲を音素に分解してリズムに合わせて無機的な記号を用いて表示してみましたよ、というものの発展系は、個人的には懐かしのWindows Playerの映像で十分である。

 ただ、ユーフラテス(石川将也)+ 阿部 舜「Layers Act」はかなり良かった。白と黒の模様が描かれた紙の上で、手動で同じような図形の描かれた透明なフィルムを動かし、映像を作るという作品だ。表示されている映像は無機的だがそれを動かす手の映り込みで方法のアナログさとのギャップも分かる。コーネリアスの音楽もそういうものを土台としてるということを理解して作ってる感じがする。
 なによりも、こうした手法はこれまでコマ撮りでものを動かしてコーネリアスの映像を手がけてきた辻川幸一郎と共通するものを感じる。彼へのリスペクトも感じられたし、そしてユーフラテスらしくもあり大変良かった。

 それからUCNV「Another Analogy」は東京の風景をグリッチさせた作品だが、これもかなりコーネリアスっぽかった。「東京の風景」がもつ排他的なコード(その都市に生きるものだけが分かる「あ、この場所日本橋じゃん」みたいな感じ)からは、渋谷とか中目黒などの都市を強調して特権っぽさを匂わせていたコーネリアスらしさを感じる。それをグリッチさせてるのも、なんともサンプリング大好きなコーネリアスの感じである。

 水尻自子「airflow」は異色だったのかもしれない。多分コーネリアスの曲を聴いて、寿司やストッキングや扇風機がスローモーションで登場するアニメを作る人は珍しいのではないか。だいたいは無機的な記号がリズムに合わせて登場するものになるのではないだろうか。
初めはどうかな、と思ったが、違和感は驚くほどなかった。なにより、コーネリアスの音楽から感じられる柔らかさを表現したアニメーションはこれだけだった。

 辻川幸一郎(GLASSLOFT)×バスキュール×北千住デザイン「JIDO-RHYTHM」は、どうなのだろうか。スタジオライブを除くと唯一人間がメインで登場する作品ではあった。映る人間の顔に曲に合わせてエフェクトが掛かるもので、要するにSNOWである。
この展示を見る前に東京カレンダーをパラパラめくって、どのページもおっさんと美女ばっかりじゃんと思ったのだが、この映像に出てくるのもおっさんと美女(しかも日本人と思われる容姿のアジア人がほとんどで、たまに白人と子供が出てくる)という感じだったので多様性とは何なのかという気持ちになり、なんか楽しめなかった。ただ、自分で体験できるコーナーがあったのだが、そこだけは楽しめた。
 めっちゃ長くなったし眠いので森美術館の方は明日書く。