6/9日記

 RADWIMPSの『HINOMARU』が物議を醸している。愛国心の表明については個人の自由だと思うのでどうでもいい。むしろそこよりも歌詞がどこか見よう見まねというか、全体的に借り物っぽいのが気になる。率直に言うと、そのせいで語られる国への愛に説得力を感じない。
 そもそも彼らは「御霊」というものがなんなのか分かっていない気がする。「僕らの燃ゆる御霊は挫けなどしない」とは一体。接頭辞「御」は歌詞の中で多用されているが、対象への敬意からではなく単にそれっぽくなるから使ってみたように見える。
 歌詞に古語を使ったり一部がなぜか擬古文体っぽくなったりしてるのも書き直したいようなむずがゆい感じがする。全部口語体にした方が良かったと思う。口なれない言葉ではなく、自分の言葉で国への愛や祖先への尊敬を表現した方がいいのではないか。

 私は日本が好きだが、考えてみれば祖国のどこが好きか表明せよというのは難しい問いかもしれない。
 RADWIMPSの歌詞で強調されているのは積み重なる国の歴史や祖先に対する畏敬と、それを受け継いで前進する日本人というイメージのようだが、歴史やいま国が進んでいる方向についてむやみに賛美することについては意見が分かれるところだと思う。どの国もそうであるように、日本にも誇れる歴史もあれば負の歴史もあるわけだ。
 治安とか利便性も難しい。それを支える犠牲や社会の歪みがどこかにあるということをつい考えてしまう。そうすると屈託無く好きだと言えるのは、食文化、自然、一部の文化、芸術あたりしかないのかもしれない。

 こういうことを考えていると、『This is America』みたいに、いま国を語ることは告発することと繋がるほうがリアルなのかもなと思いもするが、それだけが唯一の正解だとは言いたくないし、現実を告発するのとは別に素朴な愛を表現することを否定したくないような思いもある。
 それで、環Royの『J-RAP』という曲のリリックを思い出した。日本そのものではないが、彼のルーツでもある日本語ラップへの複雑な愛を示した曲だ。

ダジャレみたいでだせえJ-RAP
排他的で閉鎖的J-RAP
大人になれば卒業J-RAP
子供騙しの音楽J-RAP

 ……とこんな風にDisを書き連ねているのだが、でも彼は「J-RAP 俺は愛してるさ」と言う。微に入り細に入りDisしてるが、こんなに短所に詳しいのは期待や愛の裏返しでもある。Disだけでもなく、有名な日本語ラッパーをリスペクトし始めもする。
 なによりも、この曲のフロウがおもいっきりJ-RAPしている。愛着と嫌悪が入り交じったJ-RAPという皮膚の中に、己のアイデンティティという毛細血管が這っていて絶対に引き剥がせない感じだ。

 おそらく自分が日本に抱いてるのはこれに似た複雑な愛情なのだと思う。だせえと感じたり排他的で閉鎖的な面を感じたりすることもあり、愛着と嫌悪が入り混じっているが、その上で国への誇りや抗いがたい不思議な魅力を感じつつ日本人として生きているというか。少なくとも私にとっては、借りてきた言葉で尊敬とか愛らしきものを書くよりもこっちの方が理解できる。