8/28日記(『ダブル』第十九幕までのネタバレ感想)
野田彩子『ダブル』を読んだ。コレはフォロイーがものすごく推している漫画で、私も文化庁メディア芸術祭とか次に来るマンガ大賞の入賞などで名前はちょくちょく目にしていた。でも読まなかった。重苦しそうなストーリーが今の気分にそぐわない予感がしていたからだ。
それなのに読む気になったのはツイッターのおかげだ。この漫画はWeb連載されているのだが、先週金曜日に最新話についてのツイートがRTされてきた。ツイートに含まれる冒頭のコマの画像がどう見てもベッドシーンだったので「いよいよ読むときがきたな!!!!」と思ったのである。
そうして読んだ回は、どう見てもこの漫画におけるターニングポイントであった。なにごとか重要な事件が発生しているのは理解したが、何が起きているのかはわからない。そもそもこれまでの経緯も登場人物とその性格もそれぞれの関係性も把握していない。休養中の主人公らしき男が女の子といちゃついたあとにオルターエゴらしき人物たちの独白を聞き、なぜか街を徘徊して知人と出くわし、そのことにより何らかの重要な決意をし、立ち直って仲間たちのとこに行き、主人公が抱えていたらしき問題がスッキリ解決した、という流れだったが、何も知らないのでひたすら「?」である。とりあえずこの回の副題が『神曲』であったため、ダンテの『神曲』から着想した話なのでは? 冒頭に登場する愛姫がベアトリーチェなのか? とは思ったが。
ストーリーはよく分からなかったが、なぜか唐突に「ソリョーヌイ」という人名が出てきたので「ん?」と思った。チェーホフの『三人姉妹』か?と興味を持ったのである。そのことをツイッターに書いたところ、「三人姉妹の話は2巻に収録されているのでちょっと読んでみて面白かったら買うてね」と言われ、それならばと買わせていただく運びになったわけだ。
そんなわけで『ダブル』をkindleで買い、Web公開されている最新話までを改めて読んだ。土日はフジロックの配信を見るのに忙しかった(?)し、私は漫画の表現を飲み下して理解するのがあまり上手ではないので、どんな話なのか把握するのにかなり時間がかかった。
そうこうしているうちに『ダブル』全話無料公開キャンペーンが始まった。買ったばっかりなのでなんか悔しいが仕方ない。優れた作品には対価を払うべきである。
1. 友人A
私が重要だと感じているのは、この物語のタイトルが「代役(double)」であることだ。代役を演じるのは多家良ではない。友仁である。
「この世界すべてが一つの舞台」「人はみな男も女も役者にすぎない」と言うのなら、この世界で彼に与えられた「友仁」という名前は非常に残酷なものだ。主人公の「友人」役。役割を名前として与えられた、脇役とも呼べぬ端役。友人Aだ。主人公の名前が「多家良(=宝)」であることも、友仁との強いコントラストを感じさせる。
第十九幕の『神曲』という副題から、当初は愛姫が(名前から受ける印象からも)永遠の淑女であるベアトリーチェなのかなと思ったが、読み通してみればそれよりも友仁がウェルギリウスであるという印象の方が強い。
念の為に書いておくと、ウェルギリウスとは歴史上の偉大な詩人であり、『神曲』では地獄篇・煉獄篇においてダンテを導く師である。ダンテは彼の知識や経験から多くを学び、彼の導きで地獄・煉獄を巡り、ついには天国に至る。だが、ダンテの成長に寄与したはずのウェルギリウスは天国には入れない。
天国には至れない友人A。端役だ。
それなのに、友仁は一番の狂人だ。
自分の未来を殺して多家良を支えている。彼を世に出すため、何もかも投げうっている。
2. 才能と否定
多家良にハッパをかける割に、友仁自身は挑戦をしない人物として描かれる。『神曲』において、天国に至れないウェルギリウスは辺獄(limbo)にとどまった。
友仁も居心地の良い場所にとどまり、上を目指そうとはしていない。彼は『露命』のオーディションへの参加を渋り、付き添いのつもりでオーディションを受け、そして落ち「ここに来れなかった」。そして彼は、事務所に所属した多家良の転居先にもついて行かず、安アパートにとどまる。
多家良の理解ではこうだ。友仁は、多家良に「敵わない」。だから「せめてずっと仲良くしてたい」。「だから」「行けなかった」「ここへ来れなかった」「笑顔で俺を送り出したんだ」。
作中では、友仁の演技がずば抜けているわけではないことが示唆されている。おそらく下手な役者というわけではないのだろう。多家良に最も近いがゆえ、多家良の才能の前に霞んでいるという印象である。
しかし、友仁には明らかに才能がある。多家良の見たものをかたちにし、巧みにまとめて完成度の高い演技プランを作ることができる。また、第四幕では作品のニュアンスを読み違えて演技できなくなった多家良を再起させた。限られた情報しか得られない電話越しで状況を把握し、それに合わせて演技プランを書き換えたのである。これは物語の背景を瞬時に理解する能力が高いことの証左である。メフィストフェレスのように巧みな弁舌でなされた多家良への指示も非常に的確であった。彼は非常に優れた演出家だと言えるのではないか?(多家良は彼を「黒津に似ている」と評している。)
ただし、多家良以外は誰もこの才能を見出していない。読者もこの才能をどう評価すればいいのか分からないのではないか?それは、友仁の才能が発揮されるのは多家良を相手にしたときのみに限定されているのではないかと感じられるからだ。あと、友仁の演技プランが通用せず、見切られるのが思ったより早かったのもキツい。友仁の才能を足がかりに多家良がもっと飛躍するのかと予想してた。
Webサイトに掲載されたアオリ文には「無名の天才役者・宝田多家良と、その才能に焦がれ彼を支える役者仲間の鴨島友仁。ふたりでひとつの俳優が「世界一の役者」を目指す!」とある。これにどれだけ作者の意向が反映されているのかわからないが、作品の内容を踏まえるとこの文章には違和感を覚える。宝田多家良という俳優の持つ「ふたりでひとつの俳優」という面は黒津監督により早々に否定され、その後「ふたりでひとつ」であることの優位性は示されていない。さらに「世界一の役者」へと進みはじめた多家良は、ひとりで演じる方法を会得し始めている。友仁は確実にこのことについて気付いているが、彼の想いは明確に描かれていない。
3. 友仁B
物語にはもう一人の友仁が登場する。その友仁を友仁Bとする。2巻の表紙で多家良の喉に手をかけ、こちらを睨む男がそれだ。友仁Bは時折物語に登場し、多家良と会話をする。それは友仁と考えた演技プランを否定され、追い詰められた多家良が自らの中に生み出した存在だ。
この友仁Bは多家良のオルターエゴというよりも、多家良が演じている友仁だと感じられる。ややこしいが、離れつつある友仁の代役としての友仁Bを多家良が演じているのだ。多家良はおそらく演じることで友仁を理解しようとしているのだと思う。多家良にとって、演じることは世界を理解する手段だ。理解したいという欲求が、演じることで解消される。おそらく識字障害を抱える彼は、生きることに困難があり、逆に言えば演じることでしか世界を理解できない。そして、そのやり方を教えてくれたのは友仁だ(多家良はこれを、第十九幕ではっきりと意識する)。
この経緯のため、多家良はどこか不健全な形で友仁に囚われている。囚われたがっているようにすら見える(友仁の方では多家良の自立を望んでいるような描写が何度か出てくる)。友仁Bはその象徴だ。
友仁の代役にすぎなかった友仁Bは、次第に存在感を増している。第十七幕の最後に非常に不穏な形で現れ、第十八幕の冒頭では多家良と役作りをする。第十九幕で多家良を捜し出すのも友仁Bである。この場面で多家良の服装はスーツになっている。多家良が友仁と初めて出会った瞬間の再演である。
4.これから
多家良には世界一の役者になる以外の道はない。なれないのなら死ぬしかないのではとすら思う。彼には役者として生きるしかない宿命がある。
第十九幕において、多家良は自らが演じる理由を再確認し、重要な決意をする。彼が地獄巡りをするように街を徘徊する中でなされた独白は、以下のように読める。
友仁が俳優としての多家良を作った。それゆえに俳優「宝田多家良」は友仁のものである。
この事実は、多家良が今後友仁と離れてどこで演技しようと、友仁が多家良を「見つけられなく」なっても変わらない。
それならば、友仁の作った俳優「宝田多家良」としての体をもって、もっと遠くに行き、成功してみせる。
ただし、この決意からは今後ふたりの関係性がどうなるのか具体的には読み取れない。
多家良は友仁を置いて「もっと遠くへ」行くのか。それとも「ふたりでひとつ」として「生まれ直す」のか。友仁は多家良を「いつか見つけてくれる」のか、「見つけられなくなって」しまうのか。友仁「じゃだめ」なのか、「だめじゃない」のか。
書いてきたように、友仁は今相当厳しい状況にある。才能を示せず、これまでの方法論を否定され、そこから動かないでいる。そうして停滞の中にいるうちに多家良は友仁Bを作り上げ、彼と役作りをはじめている。
役者として・多家良の代役として、友仁の存在価値は損なわれつつあり、彼はただの友人役の域を出ない存在になりつつある。運命というのはそんなふうに残酷なものかもしれないが、私はそれはちょっと嫌なのだ。「本当はもっとやれたかもしれないやつがぬるま湯求めて日和った」のは。
たしかにこの作品は「二人一役(ダブルキャスト)でいることから脱却し、ひとりで立つこと」を描いていく物語であるとも読めるのだが、第十九幕のあとふたりが完全に決別してそのまま終わりを迎えるわけはないと感じる。メタ的な視点ではあるが。決別を描くのだとしたらもっとふたりでのサバイブを見せてほしいし、決別を盛り上げるための布石として友仁の才能や成長、役者としての存在の失いがたさをもっと見せるべきではないか?友仁がこのままあっさり退場するのでは全然「悦くはない」のでは?
物語はまだこれからである。たとえ最後には決別するのだとしても、物語にはまだその結末に向かって二転三転する余地がある。
だから友仁には、友人役にとどまらずに壁を飛び越えてほしい。
辺獄を出て、天国に至り、世界一の役者になって、多家良と「板の上で語り合って」ほしい。それがどんな形で実現したとしても。