4/18日記(『ティファニーで朝食を』感想)

 カポーティティファニーで朝食を』を読んだ。『冷血』は読んでたが、取っつきやすそうなこちらを読んでなかったのには理由がある。映画版のせいだ。映画版はオードリー・ヘプバーンの代表作であるため知名度も高くて人気だが、登場人物の一人であるユニオシという日本人が問題だった。白人俳優により、イエローフェイスで差別的に演じられてたのだ。したがって日本生まれの日本人としては食指が動かなかったというわけだ。

 今回思い立って原作を読んでみたら、ユニオシはそんなに嫌な奴としては書かれていなかった。しかも映画版とは異なり物語のキーマンであり、主人公がヒロイン・ホリーの行く末を知るきっかけを作ってる。ただ周りのアメリカ人たちに「ジャップ」とか呼ばれてはいるのだが。これはWW2の頃の物語のはずなのだが、ユニオシはなぜか周りのアメリカ人たち同様、普通に暮らしてる。「この頃日系人は敵性外国人として収容所にいたのでは?」と思ったが、必ずしもそういう訳ではないらしい。ユニオシは画家の国吉康雄の名前をもじったものだとどっかで聞いた気がするのだが、その国吉康雄も戦争中収容されることなくニューヨークに住み、反日プロパガンダのポスターを描いてたようだ。


 原作の結末が「映画版とは異なる」ということは知ってたので、てっきり悲恋物語だとばかり思ってたのだが、そもそも主人公とホリーの間には恋愛らしきものがない。二人はセックスもしないし、キスもしない。いろんな場所に遊びに行ったという話はあるが、いわゆるデートではなさそうだ。これは完全に友情の話である。カポーティはゲイなので、男女の友情というものをシス男性よりもリアルに感じていたのかもしれない。

 主人公もホリーもゲイフレンドリーというか、主人公はビアンを題材にした小説を書いてるし(ホリーに「あんたの小説ってつまり百合だよね?ビアンの子とは仲良くしてるけど、百合小説ってあんま好きじゃない」的なことを言われて見破られている)、ホリーはビアンとルームシェアしたがってる。ホリーはストレートっぽいが、主人公はもしかしたらゲイかアセクシャルなのかもしれない(直接の言及はないが、カポーティ同様ゲイのような気がする)。彼は少なくとも裸のホリーに対して特に反応をしない。登場する男たちは肉体的な魅力を含めてホリーに惹かれている男ばかりなので、主人公の異質さがより分かりやすい。

 ホリーは映画版で演じているオードリー・ヘプバーンの影響で、無邪気な妖精というイメージが強かったが、無邪気どころか相当なビッチである。性的に奔放という意味ではないが(まあ妻子ある男の子供を孕むのだが……)、性悪で人の忠告を聞かない上、犯罪も平気でやる。友人の狙っていた男を旅行で寝取り、金払いの悪い男を家の前で追い払う。最後も逃亡先で誑かすためにブラジル人の金持ち男のリストを作るよう主人公に命じるし、知人が工面した保釈金も踏み倒す。でも自由を愛する人間というのは本来こういうものである。自由のために他人の善意を犠牲にしたり、法を踏みつけにしたりするわけだ。

 こういう女に普通の倫理観を持つ人間が恋してしまうと、どう考えても地獄が待っている。嫉妬で苦しみ、愛が独占欲に変質してしまうか、相手が「正常な倫理観」を手に入れて自由でいた時の魅力を失ってしまうか、相手に合わせて自分が新しい倫理観で生きざるを得なくなるか、愛を失うかのどれかになると思う。

 その点、主人公と彼女が友情で結ばれている状況は非常に理想的である。主人公とホリーのどちらも自分の考えを変えることなく、互いに尊重し合いながら楽しい時を過ごし、別れ、胸には美しい思い出が残った、という理想的なハッピーエンドだ。ドックもホセも獣のホリーを飼いならせなかったが、主人公は独占欲なしの愛情で、ホリーという獣をそのまま受け止めることができた。意見は言いながらも彼女の考えを無理に変えることなく、得難い経験と美しい記憶を手にしたのである。

 自由に生きるホリーは一見友情を利用しただけのように思えるが、彼女の方こそ友人誰もに愛を向けてるのではないか。彼女は流産の危険を冒してまで主人公の命を救うような態度を見せるし、犯罪に巻き込まれた際には相手を恨まないばかりか、相手に不利な証言をしたくないがために国外逃亡までする。約束は破るし利用もするくせに、命は張る。友情の守り方が独特すぎるのである。「正常な倫理観」を前提にするとかなりちぐはぐに見えるので、彼女の行動を受け入れられない人間は多いだろう。自分の信念だけに忠実な人間と付き合うのは時に難しい。そんな生き方は周りを犠牲にするし、他者を傷つけることもあるから、そうした人間を排除するしかない時は多くある。だからきっと、ホリーはろくな死に方はしないのだろう。排除されようとも、何かに飼い慣らされるくらいなら自由に殉じるのだろうと思う。

 ホリーが消えた後の主人公は、ホリーの飼ってたネコが新しい窓辺の陽だまりで眠っているのを見つける。そして、ホリーもそうしているかもしれない、そうであってくれと願う。そうである可能性はどう考えても低いのに。でも、彼女の今後の人生がどうあれ、ホリーは二度と会うことのない友人に祈りを手向けてもらえるような人間なのだ。