1/24日記

 去年バンクシーっぽいものを見つけた日記を書いたのだが、その後なんかそれが都の知るところとなったようだ。小池百合子がそれの前で記念撮影して話題になっていた。そのニュースにはまず驚いて、それからじわじわと怒りが湧いてきた。小池百合子のツイートを本当は引用したくないが、彼女は「あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました!  東京への贈り物かも? カバンを持っているようです。」とか言っている。はぁ?この態度は大変無邪気である。かつ、無神経である。free refugeesは即消し、カワイイねずみのバンクシーは知事が視察。ふーん。器物損壊罪は?

 そもそもだが、まずバンクシーの落書きを政治家がありがたがるというマヌケさが恥ずかしい感じがする。あれは二条河原の落書みたいなもんで、ほとんどが世俗や政治に対する風刺画なのに。

 このニュースに対するネガティブな反応として、バンクシーに日本を批判してほしいという期待する意見を結構見た。でも、それはさすがに人任せすぎる。他国のアーティストが日本の問題に興味があるとも思えない。トランプ政権や北朝鮮の批判ならともかく。彼の絵はそこまでシリアスな風刺画でもないし。

 日本の風刺画で記憶にあるものといえば、3.11の後に渋谷で原発事故をモチーフにした少女のステッカーをよく見かけたのを思い出す。でも、あまり話題になってはいなかったと思う。今調べたら記事になってはいたが。あとは民主党政権の時にChim↑Pom岡本太郎の絵にパネルを足して原発事故を表現し、自民党政権の時に広告プランナーがケンドリック・ラマーの来日広告で公文書問題を風刺していた。これは二つとも「別のアーティストに便乗して、彼らの意思にない表現をしている」と批判されてたが、個人的にはどっちも面白いし勇気あるなと思った。だが、やはり海外アーティストとか有名芸術家とか、強いものに乗っかることを選ばざるを得なかったというのはなんか悲しい。確かに、ひとりでやっても耳目を集めるのは難しい。

 今回のニュースについての個人的な気持ちだが、こういうアホな対応で私の思い出を汚された気持ちだ。見つけたあれがバンクシーだったらいいなと思っていたが、本当のところは本物でなくても良かった。大事な人とそれを見つけて、はしゃいで、時間を共有した。もしかしたら本物かもねとか言ってるだけで、それが一番幸せだったしそれで満足だったのだ。

 別に無価値なものと見做されて消されても良かった。グラフィックアートと落書きの線引きは難しいし、その境界線上にあるからこそ魅力的なのだ。誰が描いたのかも分かんないし、永遠に残る保証はない。見つかれば役所に消されるし、他のグラフィックアートで上書きされもする、そういうのが粋なんだと思ってた。

 都が保存とか、撤去して鑑定とか要らねえよ。いっそ何も言わず消せ、できないならせめて黙認しとけ。